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2017-06-14 22:12:00

独り言ブログ

 

    私が料理人になるきっかけみたいな事を物語で書きました。

 

  よくバブルの頃はよかった・・そんな話をよく聞きますが・・

 

 バブルの頃の話です。かなり長いので2日、3日かけて読んでください。

 

  読んで続きも読みたいとおもった方はお手数ですけど

 

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  では・・始まり~始まり~

 

  題名・・ヒーローってなんや・・

 

 

中学生になる頃には、ある程度、現場仕事がすべてできるようになっていた。

 

 旭化成のパワーボードを張る外壁の仕事だった。

 

 朝だれよりも早く現場に行って、すぐ仕事ができるように

 

 準備していた。 みんなが休憩している間に

 

 ウインチで上までパワーボードを運んだり、トラックからパワーボード

 

 を運んだりしていた。学校に行かない僕としては

 

 これで身体を鍛えていた。パワーボードは1枚20キロ

 

 一つの現場で2トンほど運ばれる

 

 これを建物の前まで運ぶ何回も往復する

 

 一番きつい仕事だ・・みんなが休憩やお昼にいってる

 

 間にできるだけ運んだ。

 

 それには理由があった。

 

 僕の給料は日給2千円だった。朝7時~4時まで働いて

 

  お昼ご飯を先輩と行くと1000円かかる

 

 10時、3時、5時缶ジュースタイムがあり

 

 それで1本120円で360円が消える

 

  そしてたまに晩御飯に連れていかれると

 

  4000円もちろんビール1杯も飲まない

 

 しかも・・お腹をみたすものを食べに行く事もなく

 

  僕には、何も面白い事はなかった。

 

 そんな4千円借金で毎日500円ずつ日給から引かれ

 

 毎日給料がない日々もあった。

 

 だから・・昼も休憩の缶コーヒのお金が惜しかった。

 

 お昼仕事する事で行く必要がなくなった。

 

 そのかわり4時に帰るようにお願いした。

 

 ただ同時に若い職人に嫌われた・・

 

  「あいつだけ仕事して・・」「そんなに好かれたいのか・・」

 

  そんな事はわかっていたが・・とにかく

 

  お金がなかった・・人のうわさなどどうでもよかった。

 

  4時に帰るのは夕刊を配る為だった

 

  朝刊が朝3時半に行って朝6時半に終わらせ

 

 7時前に自転車で現場に行き

 

  4時まで現場で働き・・4時半から夕刊を配った

 

   ここでもイライラしていた。

 

 簡単に休む大学生・・来なくなる専門学生

 

  二日酔いで配り間違えたり、配達忘れるおっさん

 

  そんな奴の代わりはすべて僕がやった。

 

  新聞屋の社長の息子は同級生だった

 

 いつも「お前が配れや~」と心でつぶやいた

 

 それでもいつも自分の心は不安でいっぱいだった。

 

 クビになったら・・どうしょう~

 

 一人で暮らすようになって・・家賃は1万で

 

 新聞屋の紹介で保証人になってもらった・・3畳くらいの

 

 共同便所で・・水は部屋にはなかった。

 

 いつもトイレの三角のあの便器とくっついてる水

 

 を飲んでお腹をみたした。

 

 よくパンの耳とかパン屋でもらえるとか言うけど・・

 

 あれは少なくともパンを多少買える家であり

 

 僕くらい貧乏だともらえなかった。

 

 気が狂いそうになるくらいお腹が空いていた。

 

 学校は雨で現場のない日だけ行った

 

   しかもできるだけ昼すぎに行った

 

  誰も気づかないと思うけど

 

 午前中の教室は弁当の匂いでいっぱいで

 

 息するのも苦しかった。

 

 そして面白いくらい僕が学校に行くとその日、何か物、お金がなくなった

 

 そして放課後・・毎回犯人捜し・・めんどくさいからいつも手をあげて

 

  自分がやったといった・・先生もそれに期待してた。

 

何がなくなったかも知らないかったけど・・

 

 新聞の夕刊に遅れる事が一番いやだったからだ。

 

 ほんまに盗むなら・「もっとお腹を満たす物を盗まさ~」そう心で笑っていた。

 

   新聞の休みは月1日

 

 僕は修学旅行とか遠足とかは新聞配達があるので行かなかった。

 

  お金もかかるし・・ほとんどの同級生は僕を恐がった。

 

 学校すべての両親が僕と遊んではいけないと子供に教育した。

 

 そして僕はその両親の気持ちを深く理解した、自分が親なら

 

 僕と遊ばせないだろう~と

 

  そんな苦しい生活でも・・田舎の施設の子供たちには

 

 服やら御菓子を買ってもっていった 

 

 それはいい人とか善意のある人間ではなく・・

 

  それをする事で反社会の人にならないためだった。

 

  自分より小さく苦労してる子供の前では

 

 自分はヒーローだったからだ。

 

 「この子らの前ではヒーローでいないと」

 

 悪い事はできない。それだけが僕が普通に生きてる理由だった。

 

   いつもこの子らに感謝していた。

 

 そしていつか一流の大工になる事を夢みていた。

 

  バブル時代だから 現場仕事をしていると・・道具がいつも捨ててあった

 

  のこぎり・・電動のこぎり、かなづち・・いろんな道具がわすれていたり

 

 捨ててあった。 そんな捨ててある道具を持って帰って

 

  直した。唯一の趣味だった。

 

 いつか自分で独立で現場でたら・・この道具で家作ろう~妄想は心地よかった。

 

  そんな僕にもヒーローがいた

 

 子供の頃「おい坊主!!いじめられてるんか?」「ほんで現場見てるんか?」

 

 「おじさんと一緒やなぁ~」「おじさんも・・内緒やで・・いじめられてる」「ははは~」

 

 僕「いつも見てるもん!! 社長に怒らてる姿」「ははっはは~」

 

  「そうか・・見られたか~」「廃材ひろってるんか~坊主」

 

 「うん。けど。おじさんの現場は何も落ちてない。おもんない」

 

  「ははっは~ 一流の大工は無駄がないねん。廃材もなし、道具を大切に

 

 それがお客様への感謝・・」「無駄にビスとか打ったら・・もったいない」

 

 それが一流の大工ちゅうもんや~」

 

  「一流かぁ~僕もなれる??」「当たり前やろ~坊主」

 

  「職人の世界には腕だけや・・技術があればええねん」

 

   「ほら・・このまがった釘まっすぐにしてみ~毎日釘打つ練習し~や」

 

  「これやるわ~職人の命や~カナヅチ・・これでお前も職人や~」

 

 「ほんま僕・・一流のそくにんになる!!頑張る」職人になる!である

 

  それが僕のヒーロである

 

 ただ現実の現場にはヒーローはいなかった。

 

 ええかげん、すぐさぼる、働かない、来ない奴ばかりだった

 

  ただ・・そんな奴らばかりだったので

 

 中学生の自分が働ける事も理解していた。

 

 めったにこない現場監督・・喧嘩ばかりしてる職人

 

  うんざりだった。

 

 中学生でなければ・・早く16才になりたかった。

 

   それでも現場仕事は頑張った。自分の未来の為に・・

 

 クビにならないため・・いろんな人に気もつかった・

 

  もう14才では自分でサンダーで切って自分で張って

 

  自分で塗装して・・なんなら左官もした。

 

 雨の日は内装屋さんの手伝いもした。

 

 どの会社からもウチで働けへん~と声をかけてもらった

 

  めちゃ給料だすから・・と

 

 ただ心の中で「俺は中学生やから」

 

  いや~と断った。手伝いは喜んでやった。

 

  それでも新聞の給料日は楽しみだった

 

  2万そこらもらった。専門学生、大学生は

 

  休みまくって14万で僕より配る枚数が少ない

 

   もう顔を見るのも嫌だった。

 

  新聞の給料日は・・美味しい物を・・贅沢した

 

  立ち食い蕎麦か100円お好み焼きだった

 

 もう朝から楽しみで新聞配達中は口の中よだれだらけだった

 

 そんなお店には「やまスペシャル」があった。

 

  お好み焼きは卵2個、ネギ多め!!

 

  立ち食い蕎麦は・・出汁多め・・揚げと天ぷら入りだった

 

  後でごはんを入れるから出汁多めなわけ・・

 

 当時はトッピング制度がなかった。

 

  だから「おばちゃん!!卵50円とかネギ50円とか書いた方がええよ~」

 

  卵屋も八百屋も売れて喜ぶやん~」ワンワンや~とか生意気言っていたが~

 

 やはり間違っていたウィンウィンだった。

 

  やがてそのお店がトッピング制度がはじまった~

 

   自分なりにいろいろ味をつけて食べていた~創作料理の始まりである

 

 貧乏は・・創意工夫が始まる・・つまり楽しい・・貧乏は楽しいのである。BYやま

 

   冬の寒いなか・・給料日

 

 「こんな寒い日は・・もう蕎麦や~絶対に」

 

 「この3日日間、水しか飲んでへんし・・」

 

 現場の社長がおれへんから・・1週間の間

 

 日給もらってないし・・お金ほんまにゼロ円やし

 

 「もう今日はごはん2杯や~」

 

 「おれ・・王様」「こんな贅沢ええかなぁ~」

 

 

 「罰あたるんちゃうか~」

 

  「温かい出汁・・あかん・・よだれ止まらん」

 

  「ちゃんと新聞くばらな・・1枚、1枚愛情込めて・・」

 

    そしてすべて配り終わり・・毎朝恒例の掃除

 

 みんながバラバラにしたチラシとかきれいに掃除して自転車整備して帰る

 

 「一流の職人やから・・」一人でつぶやいていた

 

  「今日は給料日~」。鼻歌まじりで掃除

 

  「お蕎麦がまってるぜ~」♪「なっなんとごはん2杯」♫

 

  「俺は王様・・いやそれ以上・・」♫♫

 

 ご機嫌にしていると・・

 

  やまちやん・・これ給料・・

  

 「ありがとうございます。」「ヤッホー蕎麦」

 

  もう握りしめて・・立ちくい蕎麦屋に向かおうとしたその時

 

 ものすごい外車が僕の前にとまった

 

  「あっ社長」

 現場仕事の社長だった・・クビ輪から時計までキンピカだった。

 

 

 「やまちゃん~一週間ごめん日給わたされへんかったなぁ~」

 

 「いえいえ」・・あっ給料もらえるんや・・よかった心配やってん

 

 「ほんでな・・やまちゃん・・今ちょっとお金かしてほしいねん~」

 

  「えっ・・100円??200円??」

 

 「給料袋から取り出そうとすると・・」

 

 「とりあえず全部借りるわ~」「ええやろ?」

 

 「現場で返すから・・」

 

 金ぴかの社長はそのまま外車で去っていった~

 

 僕は嫌な予感はしていた。けど大人に頼まれて断る事は

 

よくない事だと思って貸した・・そして王様になる野望はすべてが終わった・・

 

 そして現場には誰もいなかった

 

  事務所にはたくさんの人がいて・・お金もらえず怒っていた。

 僕はわかっていた。すべて・・でも言えなかった。

 

  帰ろうとした僕に・・「お前は日給でええなぁ~」

 

  社長に気に入られようとがんばったのになぁ~」とか

 

 嫌味とか言われた・・そうすべて終わった・

 

   お腹が空くとかより家賃が心配だった

 

 どうしょ~給料持っていかれたし・・

 

   張り裂けそうな気持ちになった。

 

  でも・・なんとかしないと・・新聞屋の社長に頼めば

 

 もっと給料減らされる気がしたので嫌だった。

 

  2万以下は生活無理やし・・他の新聞なら20万もらえるくらい

 

 くばってるのに・・なんで俺14才なんやろ・・

 

 その晩一人現場で叫んでる少年がいた・・

 

 なっなっなんで~俺が何したん!!なっヒーローなんておらんわ~

 

  俺頑張ったやん・・俺と同じ年・・今なにしてる??あったかいコタツ

 

 でお腹いっぱいで食べてみかん食べてるやん~

 

 なんで・・布団もない部屋や・・寒いからビニールかぶっとんねん

 

  1週間便所の水しか飲んでへんねん~俺何したん??

 

なっなんで・・涙がどんどんどん出てきて・・耐えれない気持ちになった

 

 フランダースの